旧浜寺公園駅
カーキ色の屋根と白い柱の旧浜寺公園駅が現役の頃は時々、日曜画家がやわらかい筆を振るっているのを見かけた。
おっさんの小さい頃はまだ車も少ないく大阪市内から浜寺海水浴場に行くには此の駅か阪堺電車の浜寺公園駅前を利用するしかなかった。
駅を出るとすぐさま汗が噴き出し少しでも早く、冷たい海で泳ぎたくて速足でかけていった事をいまだに覚えている。
目的の浜寺海水浴場は駅から広大な松林を抜けた先にあった。
広い松林の一角は進駐軍専用ビーチになっていた。
曳き家工法による移設を待つ駅舎
歴 史
案内板によると、110年前に堺南部の南海鉄道の駅舎として東京駅や日銀の設計で有名な東京帝国大学工科大学学長の辰野金吾氏設計により明治40年(1907年)建てられた西洋木造建築だと記されている。
特 徴
屋根の正面に見えるトーマ窓(屋根窓)や、柱の骨組みをカベに埋めず装飾材料として生かすハーフチンバー様式(木造真壁造り)、又鹿鳴館の二階ベランダ部分に用いられた柱と似た玄関柱が特徴である。
私鉄最古の歴史ある明治の駅として、地元をはじめ多くの人々から親しまれ、学術的にも高く評価されている。
駅舎の移設工事は終わっており駅舎の一部は喫茶店になっていた。まだ南海電車の工事は続いているため、閑散とした駅前ロータリーに100年前の容姿でたたずんでいる。
浜寺公園に来られた時は100年前の白いペンキのはがれた丸い柱を眺めコーヒを味わってはいかがでしょうか。
もう少し加筆する予定です。
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